2006年7月アーカイブ

ブログ文化は急速に浸透し、いまやウェブにおけるその重要性はかなり大きなウェイトを占めるようになってきた。

あえて言うまでもないかもしれないが、ブログの優位性については、下記のような点が挙げられる


1.更新の手軽さ
2.「個人が情報発信するためのツール」というイメージ付けの成功
3.トラックバック、pingによる新鮮な情報同士の繋がり、伝達スピードの速さ
4.検索エンジン上位表示における基本的な必須要素のデフォルト実装
5.初級者?上級者まで、自由なカスタマイズを可能とした設計

1に挙げた手軽さの部分に関しては、旧来の日記サービスなどと大差はない。

しかし、これまでのウェブ日記は、ごく身内同士における近況連絡や、独り言的な利用方法、あるいは完全に匿名で、現実世界ではさらけ出すことのできない負の部分を吐露するための利用などが目立っていたように見える。

ブログにおいては、2の個人メディアとしてのイメージ付けによって、「有用な情報を発信するツール」としての認知が広まり、より広い層に受け入れられるようになった。

「私、インターネットで日記書いています」

というと、なんだか暗い印象を受けるが

「私、ブログやっています」

というと、アクティブに聞こえるし、少しステータスが上がったような気にすらならないだろうか。個人が情報を発信する時代、イコールブログという図式のおかげだ。

もちろん、実際には従来の日記とほとんど変わらない利用スタイルのユーザーも多くを占めているのだろうが、イメージというのは重要な要素であり、内情は出会い系サービスや2chとさほど変わりなくなっているmixiのそれとも似ているかもしれない。

次に、3つめの「情報」の繋がり、伝達スピードだ。インターネットの歴史は情報の歴史だと言っても過言ではないように、これまで受信側だった人間すべてに情報発信を可能とし、また、その伝達スピードを革新的に上げてきた。そして、昨今騒がれている「Web2.0」の最大の特徴も、やはりこの情報の在り方に関する変化だといえる。

ブログにおいても、トラックバックとpingという機能によって、これまでの何十倍も、関係性のある情報同士の結びつきが向上し、伝達スピードが上がっていった経緯がある。そして、ソーシャルブックマークやタギングによって、さらに情報は整理・共有されていく。

4つ目においては、一般のユーザーが意識することはあまりないだろうが、非常に大きなメリットだろう。htmlレベルの設計はもちろん、トラックバックによるリンクを受ける側の意思に基づいた被リンク生成によって、意図せずとも検索エンジンに重要視される仕組みを作り、より多くの人の目に触れることを可能としたわけだ。

5つ目のカスタマイズに関しては、デザインテンプレートやサイドバーのコンテンツを選択するだけの簡単カスタマイズから、CSSやscriptの記述などによって、ホームページと比べても遜色ない使用を可能としたことによって、ターゲットとなるユーザー範囲を格段に広げることに成功した。

ブログ出現初期に「ブログと従来のウェブ日記と何が違うのか?」などと真剣に議論していたことが懐かしくも思えるが、ざっと要約するだけでも「強い」サービスであることが分かるだろう。それでは、インターネットにおけるブログの占める割合は、今後も大きくなり続けるのだろうか?

その障壁の一つとして、トラックバックスパムの存在が考えられる。

まあ、これに関しては、e-mailにも同じことが言えるわけで、その対策は日々進歩し続けるであろうから、それほど気にすることもないのかも知れない。

そして、もう一つの大きな障壁として、「個別のブログ内における情報の整理が困難である」という点を挙げておきたい。

確かに、ブログ同士の関連性のある情報同士の結びつきは強くなり、その伝達スピードも格段に進化した。しかし、個別のブログ内においては、整然と情報が整理されているとは、必ずしも言えないのではないだろうか。

一つに、記事が基本的に時系列で並ぶということ。情報の新鮮さ、伝達スピードこそがブログの武器であるため、古い記事への扱いは基本的に低い。ブログと関連性の深い「RSSリーダー」というツールも、「新しい情報をいかに早く効率よく入手するか」ということを実現するためのツールであり、古い記事に関するアプローチは皆無である。

いわゆる「ホームページ」であれば、管理者によって、閲覧しやすいように情報が整理され、それぞれの記事の重要性によって階層を変えることもできる(もちろん、それにはある程度のホームページ作成におけるスキルが必要であり、スキルを持たないユーザーでも一定以上のデザインクオリティのあるスペースを所有できることが、ブログの強みでもあるわけだが)。

ブログにおいても、カテゴリや「タグ」によって仕分けをすることは可能だが、それぞれ仕分けされた中でも、基本的には時系列で記事をさかのぼっていく必要性がある。

情報の新鮮さと伝達スピードに特化していることの弊害だと言える。

情報が整理されていること自体に価値があるホームページにおいては、しばらく更新が止まっているような状況であっても、訪問者は何の疑問もなく閲覧するだろうが、ひとたびそれがブログとなってしまうと、抵抗を感じてしまうことはないだろうか。新鮮さのないブログは、「死んでいる」ようなものだ。

二つ目に、更新の容易性における弊害が挙げられる。思ったこと、考えたことをすぐに発信できることがブログの強みであるから、それがメリットではあるのだが、その反面、じっくりと内容を検証、考察した上で記事を投稿するという行為を軽視し勝ちな傾向があるように思う。

情報の新鮮さに価値の重きを置いているブログにおいては、ブロガーたちは、特定の話題に対して、とにかく早くアプローチすることが求められる。スピードをもって記事を書く必要性があるのだ。

これによって、完成されている記事とは言いづらいえないような、雑記的、備忘録的なものが多くエントリーされることになる。

私もこれまでいくつかブログを書いていたことはあるが、日記のようなものや、思ったことをただただ書き連ねるようなスタイルがほとんどであった。実際、当サイトにもブログを設置しているが、情報の新鮮さに必然性があるもの、たとえば更新履歴のような内容や、ちょっとしたニュースに対する所感をメモ代わりに残しておくスペースとして利用している。

もちろん、それが悪いというわけではない。ブログの武器は、あくまでも情報の新鮮さと、新鮮な情報同士の繋がりの生成、そしてその伝達スピードだ。見方を変えれば、ブログサービス全体が一つの媒体となり、有益な情報をピックアップしているようなものかもしれない。個人個人のブログという枠組みは存在せず、あくまで一つ一つの記事が全体に共有され、評価されるということ。

しかしながら、より「個人メディア」的な意義を持たせるスペースとするのであれば、個人のホームページやブログは、それ単体でメディアとなり、それが製品として見られるに耐え得るクオリティを持つべきだと考える。

もし、ブログサービスにおいて、特定ブログ内における情報の整理、古い情報への価値の付与という二点のアプローチを実現することができれば、真の意味で「ブログ黄金時代」がやって来るのかもしれない。

現時点では、ブログとホームページの強みを、それぞれ理解した上で使い分けることが、理想的な情報発信の在り方ではないだろうか。
事実経過をリアルタイムでは見ていなかったので触れていなかったのだが、下記のようにlivedoorニュースなどでも取り上げられていたようなので、今回の炎上事件についての考察を記しておきたいと思う。

ドコモPR用「SNS」 10日で「炎上」

以前、炎上しないサイト運営にて、コミュニティサイトの「炎上」に関する記事を書いたが、今回は、より「ブログの炎上」に近い事件だったようだ。

詳しいいきさつについてはここでは触れないが、要約すれば、mixi内に立てられたmixi公認のドコモ公式、プッシュトークのPR用コミュニティにおいて、「プッシュトーク以外の話題の禁止」「マイミク申請の拒否」「トピック作成の制限」といったコミュニケーション拒否ともとれる運営方針に対して批判が集中した結果、わずか10日という短い期間でコミュニティが閉鎖したというもの。

さて、いわゆる「コミュニティサービス」は、生きているサービスである。多数のユーザーが参加し、活動することになるのだから、当然、全てのユーザーの意思を統一すること、あるいは行動を操作することは困難だ。

企画・運営側は、ユーザーの行動に対して、指針や姿勢を示してやることはできるが、その利用方法までを完全にコントロールすることはできない。逆にできたとしても、そのようなサービスに、誰も魅力は感じないのではないだろうか。

もちろん、一からコミュニティサービスを立ち上げる場合であれば、サービスの主旨を明確に打ち出した上で、それに同意したユーザーのみを集めることで、ある程度は対応可能である。

しかし、本件においては、すでに存在するmixiというコミュニティサービス(SNS)の一コンテンツである「コミュニティ」を用いているという部分において、大きく異なっている。

「優れたツールと100万人の会員」でも成功しないコミュニティで定義した、サービスの「入口と出口」に関して言えば、ユーザーにとって、「入口」は、あくまでコミュニケーションを目的としたサービスであるmixiである。

だが、mixi内において、このドコモ公式コミュニティは異色を放っていたようだ。最終的にはmixi利用規約に準ずるとはいえ(このmixi利用規約に関しても、後付けでたびたび部分改訂が行われているのではあるが……)、独自の利用規約を持ち、上述したようにコミュニケーションを拒否していると思われかねない運営方針に基づいた管理がなされていたからだ。

コミュニケーションを求めてmixiに参加しているユーザーにとって、たとえmixi公認の公式コミュニティであったとしても、他のコミュニティに対する捕らえ方と明確な違いは感じられないはずだ。少なくとも、トピック作成やコメント機能、マイミク申請機能を、現実に実装しているコミュニティにおいて、一方的にその使用を制限されてしまっては面白くない。mixiがユーザーに提供している基本的な行動を、サービス内の一コミュニティが禁止するという点において、矛盾も感じるだろう。

ドコモ側が考えていた、このコミュニティ運営における成果物である「出口」とは、あくまで「プッシュトークについて理解してもらうこと」であり、けっしてコミュニケーションが主体ではなかったように見える。

ユーザーが「入口」で認識したコミュニケーションサイト「mixi」としてのイメージとは、全く異なるイメージをもった場所「ドコモ公式コミュニティ」。入口の中にもう一つ別の入口が存在したとでも言えばよいだろうか、そのようなパラドックスを、多くのユーザーが意識の根底で感じていたのかもしれない。

細かな点をあげれば、コメント削除の基準・方法・タイミング、ユーザー発言の誘導方法など、いたるところに混乱を引き起こしかねない部分があったのかもしれないが(これに関しては、リアルタイムで事実経過を見ていないので断定することはできないが……)、大きな部分では、公式コミュニティ運営側とユーザー側の意識の差異から生じた炎上事件だったと言える。

さて、近年ブログやSNSが注目を浴びていることもあり、公式ブログの導入を検討している企業は多いことだろう。そして、導入のメリットとしては、顧客の囲い込み、顧客からの忌憚のない生の声の収集、顧客と実際に触れ合うことで感じられる商品に対する温度差の認識、そして、顧客との距離感を縮めることによる身近な企業としてのイメージアップといった点などがあげられる。

そこで懸念されるのは、やはり批判や荒らし投稿によるブランドイメージの低下や、無関係な投稿による費用対効果の低減であるが、しかし、必要以上の削除対応、コミュニケーション自体の拒否や、言論統制とも言えるような方針での運営は、コミュニケーションサービスにとって、その本質を否定する行為であり、逆にリスクを増大させる危険性をはらんでいるということを、充分に認識しなければならない。

コミュニティという対等な場所で顧客と向き合う以上、少なくとも、意見や要望、ちょっとした批判は必ず来るものであるし、極端な話、通常カスタマーサポートで行うべき対応までを、公開した状態で行うくらいのイメージはもっておくべきだ。

いずれにせよ、企業が「コミュニティ」という形態を用いてのPRやブランディングを行いたいのであれば、最低限そのコミュニティにおける本質的な部分を否定することなく、「企業の顔」が見える運営、そして多少のリソースをかけてでも、できる限り近い距離感、対等な立場での対応を心がけることが、まず必要なことだろう。
先日書いた記事「義務化するコミュニケーション」にも関連する話だが、コミュニティサービスにも利用寿命というものがあるようだ。

コミュニティサービス内に「自分のコミュニティ」が形成されはじめると、毎日ログインすることが待ち遠しくなり、また、忙しくて友達に挨拶すらできない日が続けば、それだけで居たたまれない気持ちになってしまう。「マナーのよいコミュニティ」であればあるほど、次第に実生活にはない心地よさを感じ始め、擬似社会であることすら忘れがちになる。

ここで言う「マナーのよいコミュニティ」とは、悪い表現を使ってしまえば、誰もが偽善的な自分を演じている馴れ合いの世界。しかし、だからこそ、実社会よりもはるかに心地よく、わずらわしい人間関係に悩まされることもない。ある意味、私が考えるネットコミュニティの本質でもある。

しかし、そんな熱中ぶりも、やはりそう長くは続かない。コミュニケーションの義務化による疲れもあるだろうが、自分の時間の使い方に対する疑問を持ち始めることが、一つの理由であるようだ。

私がこれまで携わってきたサービスを見る限りの所感では、チャット中心、リアルタイムコミュニケーションが求められるサービスなら一ヶ月から三ヶ月、掲示板や日記などが中心、割と緩やかなコミュニケーションがメインのサービスでもだいたい半年前後で、その時期が訪れるユーザーが多い。

それはなぜなのだろうか?

コミュニティサービスで得られるのは、人との繋がりによる安心感や共有感と言える。WEB2.0という言葉が叫ばれるようになっている昨今、特に「共有」という意識に対しては、根強いニーズがあるようにも見える。

日常生活のほんの休息の場として、「ネットとの距離感」を意識して利用するのであれば、非常に有用であり、実生活への活力ともなり得る。

しかし、ひとたび近づきすぎてしまうと、その代償はあまりにも大きい。

極端な話、安心感や共有感というその場限りのせつな的な感覚を得るためだけに日々の時間を使うことは、単なる時の浪費にすぎないのではないだろうか。

もちろん、日常生活にもくだらない雑談に終始する会話や何も考えずに過ごす無駄とも思える時間は存在するが、前者は実際の人間関係構築のために必要不可欠な行為でもあり、後者は日々の疲れをリフレッシュするという意味においては有意義である。

しかしながら、コミュニティサービスにおけるそれは、多くの場合、ネット上だけの付き合いに終ることが多いものであるし、サービスの提供が中止されてしまえば、形としては何も残らない。また、何時間もパソコンに向かっていることは、肉体的にも大きな負荷をかける行為でもある。有用な情報を得るようなタイプのコミュニティであれば、また違ったことも言えるのだが、コミュニケーションを目的としたコミュニティサービスの場合、あまりにも時間を投下してしまうと、実生活に負の影響がでてしまうことは否めない。

人生という大きなくくりで考えれば、大切なのは、安心感や共有感を得た上で「どのような生活を送るか」であり、それを得ること自体が目的ではない。

もちろん「趣味に生きる」という言葉もあるが、毎日何時間も、コミュニティサービスを10年20年と継続して利用するような姿は容易には想像できないだろう。一般的な「趣味」とコミュニティサービスの利用が、本質的にどのような違いがあるのかの説明は難しいが、少なくとも、やはりバーチャル世界であることはその一端だと考えられるし、また、移り変わりの激しいインターネットサービスにおいて、10年続くサービスというのもごく少数である。

では、それに気づいたユーザーの、その後の行動はどうなるのであろうか。

一つは、コミュニティへの依存からの脱却である。

馴れ合いの人間関係に頼ることをやめ、以前の生活へと戻って行く。一度離れればなんという事のない普段の生活だ。中には再び新しいコミュニティに参加し、同じ過程をたどってしまうケースもあるが、とにかく、一度「離れる」という選択をするユーザーは多い。

そしてもう一つが、「ネットとの距離感」を意識した利用への移行だ。そこには、以前のようにあふれ出してくるような楽しさはないが、また違った楽しみが見えてくる。コミュニティと上手な付き合い方をすれば、きっと有意義な生活の糧となる。

「ネットとの距離感」

ネット初心者、コミュニティ初心者であればあるほど、意識すべき言葉であるだろうし、そして、サービス提供側も、そのような利用が誰にでも容易に想像できるサービス設計を行うべきなのかもしれない。
        

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