おーい

背後からの、声

「おーい」

見知らぬ声が、私の背後から投げかけられる。

仕事を終え、帰りの夜道、少し不気味に思いながら、家路を急ぐ。

「おーい。振り返ってみろよ」

なんだろう、しつこく声をかけてくる。

「おーーい! 振り返ろって!」

体感的にも、そんなに時間は経たないうちに、同じ声が、もう少し大きな声量で向けられた。

間違いなく、私に向けてのものだろう。

おそるおそる、半身のまま、後方へ顔を向ける。

初老の男性が、少し足早にこちらに向かっていた。

私は少々困惑と、危険を感じながら、立ち止まり、「なんでしょうか?」と声をかけた。

とりあえず、なにか用件があるのだろうが、私は、早くそれを確認し、解決し、何事もなく自宅へ帰るのだ。家には妻や娘が待っている。

「何かありましたか? 私、落とし物でもしたのでしょうか?」

もう一度質問をする。その男は、徐々に私に近づいてくるが、何も言わない。不気味さ、そしてちょっとした身の危険を感じる。

そして、目と鼻の先まで来たその男は、もう一度かすれた声で何かを言った。距離が縮まったせいか、だいぶ小さな声だったので、聞こえづらかったが、「おい、振り返ろよ」そんな風に言っているようにも聞こえた。

不思議な男との会話

「さっきから何なんですか? 用件はなんでしょうか。私は早く家に帰りたいのです。今日は残業もあり、疲労困憊です。早く帰宅し、風呂にでも入って、平日のゆいいつの楽しみでもある、ビールでも軽く飲んで、また明日早朝からの会議に備えたいのです」

その男はニヤニヤしつつも、こころなしか、蔑むような視線を私に向けていた。

埒が明かない。こういっては悪いが、少し精神状態のおかしな人なのだろうか。

「用件がないのであれば、こちらで失礼いたします」

そういって、再び家路につこうとした瞬間だった。

「おまえさあ、今すべきこと分かってないだろう」

唐突な上からの発言

その男は続けざまに言った。

「何事にも順序がある。おまえさんは、これまでことごとく、その順序を誤ってきた。順序を決める判断もだ。順序だけならいい。続けるか続けないか、続けるのであればその先の選択肢。ともすれば、安易なルート、ルーティーンを歩むことが、おまえさんにとって残された道だと思ってるんだろう。わかるよ、俺には」

その男は一気にまくし立てた。急に上から目線の発言になってきたことも気になった。

一瞬、というか、しばらく考えたが、理解はできなかった。それよりも、この男の正体が恐ろしく感じた。

人生の回顧、私なりの納得

確かに私は、その人生に100%満足はしていない。かつて諦めたいくつかの夢。何人かの女性との恋愛。ほんのちょっとと思っていたけど、ハマりすぎた趣味で抱えた多少の借金。思いもよらずに傷つけてしまった可能性のある何人かの知人。一念発起して起業した会社の良くない顛末。

人生の全てが上手くいくはずはない。私なりに頑張った。それでも、その中で普通の生活を見つけた。今がある。今の私は、決して他人からみて蔑まれるような人生ではないはずだ。

運良く、中流の会社に再就職することはできたし、郊外とはいえそれなりの住宅も手にし、長いローンは抱えつつも、良くしてくくれる妻と、かわいい娘。会社でのポジションも、ベスト・オブ・ベストとはいえないまでも、そう悪くはないし、ある程度中の良い友人らもいる。ご近所付き合いや、親族関係の付き合いだって、ごく一般的な普通のお付き合いを継続している。

全てが完璧ではなくったって、私のスキル・能力、運、環境の中で、可能な限りのことをやってきたんだ。それを否定される筋合いはない。

過去に未練をもったってどうしようもないんだ。そう私自身をコントロールしながら、生きてきた。思い通りの人生なんて、ありえない。ありえるとしても、ごく一部のひとだけだろう。今の私の状況に不満なんてない。これが、すべての状況を考えた上での、最適解だ。そんなわかりきったことに対して、こいつは何を言うんだ。

忘れていた、過去の失敗や心残り、チャレンジしなかったことに対する未練、チャレンジした上でタラレバでの回顧。

こいつは何を言っているのか。何を突きつけてくるのだ。怒りすらわき始めていた。ふつふつと。

突然の告白

その時だった。その男は、こうつぶやいた。

「俺は今から、死ぬよ」

なんだろう。よくあるSF小説であれば、未来からきた将来の私が、現代の私に対して、最悪な事態を免れるために必要な最低限のメッセージを送る、そんなシチュエーションは想像できる。

「俺は死ぬからな。お前がどう思おうが、俺には知ったこっちゃないんだ。でも、俺は今から、死ぬんだよ。あとでお前がどう思うとか、どうでもいい」

どうやら、いわゆるSF小説でありがちなそういう類のものではないように感じた。とりあえず、この男にとって、今ここにいる私はどうでもよい存在であり、そして、彼は私が何をしようと、とにかく死ぬという決意を持って、ここにいて、理由はわからないが、声をかけてきた。これだけが、事実だ。

とりあえず、この男は、死ぬと言っている。理由は分からない。私に対しても興味があるようには見えない。ただ、目の前に突然現れた、見ず知らずの男から、「今から俺は死ぬ」。そう告げられた。

目が覚めた

あまりの混乱に、その後の記憶は定かではない。しかし、私はベッドの上に横たわっていた。見慣れた景色、間違いなく私の家であり、私自身の部屋だ。

一つ違うのは、見慣れないというと嘘になるが、昨晩の男が、そばに居ることだった。

そばに居るというのは語弊があるのかもしれない。

居るには居るのだが、死んだような表情、真っ白な顔をして、ベッドの下に横たわっている。

恐怖のあまり、しばし目を閉じたまま、時間がすぎるのを待った。

再び目を開けてもその男は、同じ状態で存在している。混乱、困惑、恐怖、パニック。

声にならない声を上げつつも、現状を把握するために男の脈をはかる。生きているようには思えない。脈は一切感じられなかった。外傷はなさそうだが、昨晩から、何が起こり、どういう経路で私の家、この部屋にまで入り込み、そして、亡くなっているのか。

まずは妻に、このことを報告しなければ。頭がおかしいと思われるのだとしても。私は殺人を犯すような人間ではないし、この男には外傷もないように見える。なんとか説明すれば、無実は晴れるはずだ。いや、そうでなければ困る。

妻の反応

神妙な面持ちで、妻に声をかける。

「あら、アナタ、おはよう」

事細かに、昨晩からの出来事と、今まさに、自室でその男性が倒れている、おそらく亡くなっているだろうと思うことを伝える。

妻は血相を変えて、おそるおそるではあるが、私の部屋へ入る。

そのあと、ケタケタと笑いながら、そして、少し怪訝な表情を浮かべながら、「あなた、何変な冗談言ってるの? 悪い夢でもみた? 今日はエイプリルフールでもないし、だとしても悪い冗談すぎるわよ」と。

そんなことはない、実際、今この瞬間も、私の目には、その男は、その場所に横たわっており、ケタケタと笑う妻の足元に存在しているのだ。

念の為、少し時間をおいてから、娘にも自室に来てもらった。娘まで巻き添えにしてしまうのは、だいぶんと決意が必要だったが、「部屋が散らかってるので、片付けを手伝って欲しい。こないだ欲しがってたアレ、プレゼントするからさ」って。そんな理由で呼び出した。

その男が横たわっているにもかかわらず、娘は、愛くるしい表情と、ちょっと面倒くさいなぁといった表情も交えながら、部屋の片付けに精を出してくれた。

自分だけに見える、亡くなった男性

あれから数週間が経過した。妻も、娘も、私には、毎日見えているその男性のことには触れない。触れないというか、本当に見えていない様子だ。

一方で、自分には、毎日のように……。

「死んでいる」ようには見えるが、物体的な感触はなく、もちろん、匂いなどがするわけでもなく、気にしなければ、何ら支障はない。

ただ、彼が言う、自分が過去捨てたものに対する後悔や未練は、その男が横たわっている限り、毎日、眼前に、明らかに存在するものとして残るのだろう。

自分が選んだ道。選ばなかった道。どこに正解があったのかはわからない。

ふと思うことがある。自分が選ばなかった道を、今この瞬間、選び直したとしたら、死んだように見える彼は、生き返るのだろうか。そして、今、生きていると思いこんでいる自分の存在は、どうなるのだろうか。

当面の間、あるいはずっとなのか、いるのか、いないのかわからない、その男性、おそらく自分なのだろうと思われる、死んだように思われる「ソイツ」と、日々を過ごすことになるのだろう。

いつか、何かを決断した時に何が起こるのか、あるいは、なんの決断もしなかった時に、何かが起こるのか。

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