リセット世代
子供のインターネット利用とその怖さ でも使ったのだが、リセット世代という言葉を聞いたことがあるだろうか。
リセットという用語は、コンピュータゲームなど良く使われる言葉で、ゲームを最初からやり直すことを意味する。この機能によって、敵にやられたとき、思い通りに進まなかったとき、気軽にゲームをリトライできる。
自分の思い通りにゲームが進行するように、この行為を何度も繰り返す。やり直すことにより、時間さえかければ誰でもクリアすることができる。そこには、完璧な自分が存在し、ゲームだからこそ味わえる何にも変えがたい興奮があるのだ。だからこそ、人はゲームに熱中する。
もちろん全てではないが、一般的に、ゲーム世代と呼ばれる最近の若い世代は、この「リセット」という行為がごく自然な行為として身についている。即ち、リセット世代。
さて、このリセットという行為がネットにおけるコミュニティにおいて、どのような影響を与えるのだろうか?
一般的に、コミュニティとは、日々のコミュニケーションの積み重ねによって形成される。人と人との繋がりは、大変な時間をかけて作られ、その反面、脆い。ひとたび間違ってしまえば、容易にやり直すことは困難である。だからこそ、人間関係は難しいのであり、人生を左右しかねないそれに、人は悩み、そして喜ぶ。
しかし、ネットでのコミュニティは、一般的なそれとイコールであるとは言いがたい。
なぜなら、インターネットでは多くの場合、匿名性が守られており、登録制のコミュニティサービスなどでも、IDを取り直すことで、何度でもやり直しができてしまうからだ。極端な話、再登録後、過去の自分と仲の良かった友人達に接近し、まったく別の人間として、新しいコミュニティを築くことだって可能である。
私が見てきたコミュニティの多くで、そのような光景を頻繁に目の当たりにしてきたが、その傾向は、やはりリセットという行為に慣れてしまっている世代の若者が多いように見受けられる。コミュニティにおける自分の存在そのものを、いとも簡単にリセットできてしまうということ。これは、非常に危険な傾向だ。
リセットできる人間関係が何をもたらすか。それは、相手に対する敬意、思いやりの喪失である。それによって、多くの人は、ワガママに、自己中心的に振舞うようになってしまう。なぜなら、それこそが人間の本性であり、普段、理性によって抑制されている部分であるからだ。
そのような心理を持つ者にとって、ネットでのコミュニティの中で自分を抑制することの必要性は皆無ではないだろうか。インターネットはあくまで日常とは違う自分を楽しむことができる、いわばゲームであり、そして、ゲームの中では自分が主人公となるのが当たり前のはずだからだ。
気に入らない友人がいれば、敵意をむき出しにして糾弾し、逆にそのように好意的でない態度を取られれば、迷うことなく退会する。自分の思い通りのコミュニティが形成されるまで、何度でも退会、再登録を繰り返すしてしまうのだ。
このインターネット上での行為に麻痺し、実際の人間関係のそれと混同し始めたときの結果は、非常に恐ろしく感じる。
最近の凶悪犯罪の低年齢化や、犯罪自体の凶悪化の一端に、こういったインターネット上でのコミュニケーションの影響が少なからずあるはずだ。
未成年者による凶悪犯罪の抑制を考える上で、インターネットにおけるコミュニケーションのあり方を子供達にどのように認識させるかが、非常に大きな鍵となってくるのではないだろうか。
リセットという用語は、コンピュータゲームなど良く使われる言葉で、ゲームを最初からやり直すことを意味する。この機能によって、敵にやられたとき、思い通りに進まなかったとき、気軽にゲームをリトライできる。
自分の思い通りにゲームが進行するように、この行為を何度も繰り返す。やり直すことにより、時間さえかければ誰でもクリアすることができる。そこには、完璧な自分が存在し、ゲームだからこそ味わえる何にも変えがたい興奮があるのだ。だからこそ、人はゲームに熱中する。
もちろん全てではないが、一般的に、ゲーム世代と呼ばれる最近の若い世代は、この「リセット」という行為がごく自然な行為として身についている。即ち、リセット世代。
さて、このリセットという行為がネットにおけるコミュニティにおいて、どのような影響を与えるのだろうか?
一般的に、コミュニティとは、日々のコミュニケーションの積み重ねによって形成される。人と人との繋がりは、大変な時間をかけて作られ、その反面、脆い。ひとたび間違ってしまえば、容易にやり直すことは困難である。だからこそ、人間関係は難しいのであり、人生を左右しかねないそれに、人は悩み、そして喜ぶ。
しかし、ネットでのコミュニティは、一般的なそれとイコールであるとは言いがたい。
なぜなら、インターネットでは多くの場合、匿名性が守られており、登録制のコミュニティサービスなどでも、IDを取り直すことで、何度でもやり直しができてしまうからだ。極端な話、再登録後、過去の自分と仲の良かった友人達に接近し、まったく別の人間として、新しいコミュニティを築くことだって可能である。
私が見てきたコミュニティの多くで、そのような光景を頻繁に目の当たりにしてきたが、その傾向は、やはりリセットという行為に慣れてしまっている世代の若者が多いように見受けられる。コミュニティにおける自分の存在そのものを、いとも簡単にリセットできてしまうということ。これは、非常に危険な傾向だ。
リセットできる人間関係が何をもたらすか。それは、相手に対する敬意、思いやりの喪失である。それによって、多くの人は、ワガママに、自己中心的に振舞うようになってしまう。なぜなら、それこそが人間の本性であり、普段、理性によって抑制されている部分であるからだ。
そのような心理を持つ者にとって、ネットでのコミュニティの中で自分を抑制することの必要性は皆無ではないだろうか。インターネットはあくまで日常とは違う自分を楽しむことができる、いわばゲームであり、そして、ゲームの中では自分が主人公となるのが当たり前のはずだからだ。
気に入らない友人がいれば、敵意をむき出しにして糾弾し、逆にそのように好意的でない態度を取られれば、迷うことなく退会する。自分の思い通りのコミュニティが形成されるまで、何度でも退会、再登録を繰り返すしてしまうのだ。
このインターネット上での行為に麻痺し、実際の人間関係のそれと混同し始めたときの結果は、非常に恐ろしく感じる。
最近の凶悪犯罪の低年齢化や、犯罪自体の凶悪化の一端に、こういったインターネット上でのコミュニケーションの影響が少なからずあるはずだ。
未成年者による凶悪犯罪の抑制を考える上で、インターネットにおけるコミュニケーションのあり方を子供達にどのように認識させるかが、非常に大きな鍵となってくるのではないだろうか。
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