子供のインターネット利用とその怖さ

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昨年起こった長崎県佐世保市の小学生女児殺害事件を覚えているだろうか。

事件当時、マスメディアもこぞって簡易ホームページの存在やチャット、掲示板などを取り上げたものだが、もう事件自体はだいぶ風化してしまい、インターネットの負の部分も薄れかけていることだろう。

しかし、根本的な問題として潜むインターネットの怖さは、より大きくなっているといえる。

では、そもそも、インターネットにおける「怖さ」とはなんなのか。

ご存知の通り、インターネットには多くの情報が混在している。上手にインターネットを利用するために必要なのは、自分にとって有益であり、正しい情報だけを取捨選択する能力である。

いくら膨大な情報があったとしても、その真偽の定かでないものや価値のない情報に埋もれている状態では、まったく意味を成さないからだ。

昨今の小学校、中学校ではコンピュータの授業も積極的に取り入れており、児童達のコンピュータを扱うスキルという点においては、大人達となんら変わらないか、それ以上だといっても過言ではないだろう。

しかし、コンピュータを扱うスキルはあったとしても、情報を取捨選択する能力、ある種特異な情報に接したときの一般常識を元にした判断力という点に関しては、やはり幼いと言わざるを得ない。

これによって、間違った情報や通常では考えられないような残虐な価値観を、当然のように身につけてしまうのだ。これらは、全てを吸収してしまう多感な時期である児童達にとって、ある一定の規律のもとに放送されているテレビメディアなどから受ける影響と比べて、計り知れないほど大きいことが容易に想像できる。

また、もう一つ足りないものがある。それは、コミュニケーションの能力だ。未成熟なコミュニケーション、極端に言ってしまえば、言葉を覚えたての児童達が、その正しい使い方を知らない状態で、インターネットを媒介として文字でのやり取りを行う。

少し考えてみれば分かりやすい。国語の授業で一生懸命作文を書き、用紙一面先生から赤ペンで訂正されているような、そもそも未成熟な児童達が、インターネット用語として簡略化された略語や顔文字などを多用し、さらに不十分な言葉でコミュニケーションを取っているのだ。

そして、そこは少なくとも現実世界ではない。多くの児童達は「ゲーム」感覚であるように見える。

リセット世代とはよく言ったものだが、コンピュータの電源を切ってしまえばそれでお終い。それまでのコミュニケーションは、あたかもゲームの世界でのことのように感じられてしまう。

インターネットの世界では常に自分が主人公であり、気に入らない相手に対しては、相手といってもゲームの世界でのキャラクターに対してであるのだが、自分の感情をありのままに表現してしまうことになる。

多くのインターネットネットコミュニティサイトで、こういうコミュニケーション能力の未成熟な児童達から、信じられないくらいの暴言が意図も簡単に飛び出してくることを、みなさんは知っているだろうか。

死ね。殺す。うざい。消えろ。

私が見てきた児童達、しかもかなりの多数は、日常的に、このような言葉を何の躊躇もなく発している。そして、今、みなさんが感じたように、この言葉は、文字として表現すると、たとえようのない恐怖感を与えてしまう。

情報の取捨選択能力に欠け、多感な時期である児童達がこのような言葉に直面したときの感情は、大人の感じるそれより、はるかに大きなものに違いない。

そして、厄介なことに、リセット世代である現代っ子達も、ゲーム感覚で利用したインターネット上で受けた「負の感情」だけはリセットできないのだ。

ここで話を冒頭の長崎の事件に戻そう。

この事件では、同じ学校の同級生同士が、ネット上のコミュニケーションから喧嘩となり、いわゆる荒らし行為へと発展した。お互いがお互いのホームページを荒らし、その憎悪の念は次第に増加していったものと考えられる。

実際に校内での喧嘩であれば教師が止めに入るだろうし、長引けば親同士の問題ともなる。

しかし、インターネット上でのそのようなやり取りが、親や教師の管理下におかれていることは、ごく稀なことだ。サービス提供者による介入もあるだろうが、多くのサービスでは「利用者同士の喧嘩への仲裁は原則として行わない」というスタンスである。

AllAbout子育て事情によれば、子供達がそういったサービスを利用していることを知らない親が、4人に1人はいるというデータもあるようだ。以外に知っている親が多いようにも思えるだろうが、それがどのようなサービスでどのようなやり取りを行っているかということまで知っているか、あるいはそのやり取りの内容までしっかりと管理しているかという問いになれば、極端にその割合は減ることだろう。

このような状況は、非常に危惧すべきだし、今後さらに大きな問題を引き起こすことになるはずだ。それを避けるためには、まず、インターネットの利用方法を教えなければならない教師や親それぞれが、インターネット、特にコミュニティ利用に関してもっと成熟する必要がある。

これまで、コミュニケーション能力の未熟な児童という観点から書いてきたが、実は、大人の多くも、残念ながらインターネットにおけるコミュニケーション能力に長けているとは言えない。もちろん、児童達のそれと同じレベルではないだろうし、社会生活における一般常識は心得ているはずだ。しかしながら、実はインターネットにおけるコミュニケーションのあり方は、それだけでは対応できない部分も多いの(少し主旨が異なるため、これについては本記事では割愛させていただく)。

では、手っ取り早く子供達を守るために、何を教えれば良いのか。一つだけ、どのような場面にも共通して必要なことがある。

それは、インターネットはゲームではなく、画面の向こうにいるのは自分と同じ人間なんだ、という認識だ。

我が子の身を守ろうとするのであれば、まず我が子が接するはずの人たちがゲームの登場人物ではないこと、そういう人たちへの配慮の気持ちを教えることがもっとも近道である。

ゲームの世界なら、やられたらやり返すことで高得点を得られるだろうが、現実は違う。暴言を受け、暴言で返してしまっては、更なる暴言を助長する。

分かっているものであっても難しいことではあるが、たとえ不健全な発言を行う相手に対してであったとしても、相手に対して、また周りに対して、ある程度の配慮を持って接することで、危険は未然に防げるものだ。

ご家庭や学校で、ネットマナーを教える場合には、ぜひ、念頭においていただきたい。

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